意固地って
人は誰しも、自分の感性や好みを大事にしていると思う。
でも、それが何かをきっかけに怒りによって硬直化してしまうと、自由を失う。意固地になってしまう。
意固地ってのは、自分が今まで築き上げてきた価値観に対して他に一切の遊戯も許さなくなってしまうというか、過去の自分の絶対化というか。自分も気をつけてることだが。。。
若い頃って未知に対して心が開かれているもんだ。
好奇心が先に立ち、知らないことを知ろうとする。
ただ、年齢を重ねるにつれ、積み上げた価値観が「自分らしさ」になる。それはいいことなんだけど、それを過剰に守ることで、成熟から道が外れてしまう。
そしていつのまにか頑固者の入口に立っていたりする。
経験って、柔軟さを深める余裕になっていくと見栄えがいいもんだ。
だけど、道を誤ると過去の自分を守ることが、未来の自分を縛ることにつながってしまう。
きっと本当に成熟した精神って、
年齢を重ねても常に若くある柔軟さなのかなって最近思う。肉体の問題じゃなく、変化を恐れない余裕というか。
異なる感性を受け入れられる人は、自分の中に新しい世界を学ぶ余地を持っている。
それってかっこいい。それはもちろん軸が自分にあってこそ成り立つことだけど、一切の他の意見を許さないってなると、自分に更新がない。
若い人と対話していると、彼らの語る言葉や感覚には、確かに時に浅さもある。
その浅さの中には、かつての自分も見えるからついついおせっかいを言いがちだったりするけど、その人はその人であって、自分じゃない。
まるで違う環境で育った他人だから、自分の経験をそのまま重ね合わせるのは違う。その浅さの中にも時代の新しい潮流や、感性の芽が宿る可能性を忘れちゃいけない。それは浅さというより、時には新たな知識を飲み込む余地でもあるから。
それを「理解不能」と切り捨てるときって、若者を拒んでいるんじゃなくて、自分の更新を拒んでいることにもなりうる。
意固地になるというのは、結局のところ、「変化の痛み」から逃げることかもしれない。
未知を受け入れることは、常に古い自分を壊すことだからだ。
これは若い人の意見に限ったことではなくて、年長者の意見に対しても柔軟であることも大事だ。知りもしないのに、それは間違ってるとは双方向に言えない。なので、結局はお互いのバランスをはかるかしなきゃいけない。
だからこそ、相手を問わず、知ろうとする力と変わり続ける勇気を保つことが、いい意味での成熟なのだろうなと思う。
経験を重ねるほどに、自分を疑い直すこと。
だから意固地な人に出会ったとき、どうすべきか。
彼らを正すことはあまり意味がない。
結局静かに、自らの姿勢で示すしかない。
冷静に、柔らかく、自分のベストを更新し続ける。
言葉ではなく態度で伝える誠実さの方が説得力があるから。
意固地というのは、僕の中にも、誰の中にも潜む影で、心が硬くなる瞬間の人間性そのものだとも思う。
自分に磨きをかけることは、何かを失うことじゃない。むしろ得る。ー硬直化して突っぱねることは、多くを失う。
どちらが自分にとっていいか、冷静になれば分かるんだけど、感情的に意固地になっていると、人はついつい、それが分からなくなる。
難しい時でも、どっちが得か、って考えだけで見るんでもいいと思う。