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お化けと布団

子どものころ、怪談話や怖い映画を見たあと、

部屋にお化けがいる気がして布団に潜り込んだことはあるかな。

 

うんと小さい頃、僕はある。

大抵そういう話を目や耳にする季節は夏なので、布団の中の僕は汗だくだ。

 

しんどい、出たい。でも…

「この布団をめくったら、お化けの顔がそこにあるかもしれん」と、想像が膨らむ。

番町皿屋敷のお菊のような(映画で言えばリングの貞子)お化けが頭の中を支配してて、出れない。

 

でも思えば笑ってしまうよな。

 

布団なんか、ひょいとはいでしまえば、うずくまる自分がそこにいるだけだ。

単に見ようとしないことで「安心」だと思い込めるなんて、まあ…子供だったんだなあ。

 

なんだかんだいつの間にか眠りこけ、朝の光で目が覚める。そして、ふと思う。

 

「…幽霊なんていなかったんだろう!」

すべて自分の想像の中の話だったかも、と。

 

 

 

子供の頃は、世界の経験が少ない分、知識よりも想像力が勝ることが多いんだろうね。だから得体の知れないものへの恐怖が大きかった気がする。

 

そしてそれは経験と知識を重ねるうちに薄れていく。頭の中の脚色されたお化けも、子供から少年に変わっていく頃には影を潜めるようになった。

 

 

けれど、そんな「お化けと布団」の関係は、形を変えるだけで残っていくこともある。

 

たとえば自分の場合、それは「学校と部屋」に変わったかもしれない。

怖さは、社会やシステムや地域文化に対する怒りや不満に変わった。

 

その時は心が参っていたので、悪い想像が膨らむって意味では同じなんだ。きっと自分は必要以上に人に対して警戒モードだったんだろう。怒りによって、自分の目に映る人たちが悪い方向に脚色されていたと思う。

 

 

でも部屋にこもってるだけじゃ何も変わらないという危機感はあった。

だからちょいちょい行動に出た。

 

 

 

ある時、勧められて引きこもりの集まりみたいな場所に行ったことがある。

普段の自分なら絶対行かないが、当時僕は状況を脱却しようとバンドメンバーを探していたし、何より普通じゃない誰かに出会いたかった。

 

 

そこは年上の人が多かった。

そのうちのとある20代くらいの人と、何度か二人きりで話したことがある。

 

その人はおとなしい雰囲気で、僕はバンドメンバーとして見定める必要があったため、積極的に話しかけた。彼はWeezerっていうバンドが好きだった。

趣味はそこまで一致はしなかったが、音楽好きなのには変わりはない。

また、彼にとって、話し相手の僕が中坊ということもあり、話しやすかったのかもしれない。段々と心を開いてくれた。ただ、彼は演奏はしないかただった。

 

たまに話題を変えて、「毎日どういうことをしてますか?」って振ると、ふと現実世界の自分を思い出すのか、暗い顔になる。彼もまた、社会に対してとても怯えていて、それから逃れるために音楽の世界という布団にこもっていたんだと思う。

 

僕らは何度か連絡をしたけど、僕は僕で焦っていたし、メンバーを探しに色んな人と会う…を繰り返すようになって、自然と連絡は取らなくなった。

 

 

今、どうされているだろうか。

時々思い出す。

 

 

そういう頭に焼きつく出会いがあの頃、いくつもあった。

そうやってそれまで知らなかった場所で、色んな人が社会に怯えてることを知った。

 

みんなおそらく、心の中に言い表し難い切迫したモヤモヤがあって、それが悪い方向に現実を脚色させていく。

その正体を暴いて対峙する勇気は、なかなか湧かない。

だから安心できる小世界を探す。

 

あの時の彼なら、それはWeezerだった。

人によってはそれがSNSやオンラインゲームやファンタジーの世界だったりと、色んな形がある。その中でしばし一息をつくのはきっと良い時間だ。

それが日々の糧になるのであれば。

 

 

大人になれば子供の頃と違って、周囲の変化や、時間に限りがあることにも気付くようになるだろう。その圧は子供の頃よりうんと深刻なものだから、それを忘れたくて一層布団の中にこもってしまう。

 

 

表現という抜け道を持っていなかったら、自分はどうしたろうか。

そんなことを時々考える。

 

 

少なくともあの頃の経験から言えるのは、無駄な肯定は状況を悪化させるだけだったなってこと。

 

「そのままでも大丈夫だよ」という肯定は、少なくとも当時の僕にとって全くもって優しさには聞こえなかった。

塞ぎ込んでいた自分、

Weezerが好きだった彼、

そしてそれ以外に当時会ってきたいろんな人たちを思い出すと、経験としてそう感じる。冗談じゃない、このままじゃ嫌なんだと。

誰だって幸せになりたいし、安心したい。

インスタントな慰めの言葉は、痛み止めにはなるかもしれない。

 

 

でも結局のところ、布団から出るしかない。

 

こういうことを言うと「タフな人はそうだけど…」と言われることもあるが、いいや。僕も、かつてそこにいた。

諦めの優しさより、その人の幸福を考えた時に、簡単に「そのままでいいよ」と…どうしても自分は言えない。

 

それがどんなに小さなことでも、何か変化を起こそうと努力する行動に対し、称賛する側に立ちたい。

 

頭の中に住んでいる恐ろしいお化けは、必要以上に肥大化した妄想である場合もある。「実際にはそこまでじゃない」と思えたら。それが叶うならば経験できたら。

簡単に言える話じゃないのは百も承知だけれど。

 

 

確かにこの社会って、たくさんしんどい部分はある。

同時に僕らは時々、「必要以上に」社会を恐れ過ぎている部分もあるかもしれない。

 

 

頭の中で問題が膨らんでいるとき、少しずつ。

布団から手を出してみる。

足を出してみる。

そんな小さな行動で、怖さは少しずつ薄れていくことがある。

 

自分を必要以上に責める必要もない。

できなかった自分を延々と悔いる必要もない。

その全てを受け入れて、小さな行動から始める。

 

逃げるなとは言わない。それも選択肢としてとっておくべき。

ただ、同時に行動する選択肢もあったほうがいいわけだ。それを捨ててしまうのは勿体無い。

 

 

外の空気は冷たいけど、布団の中の息苦しさより呼吸がしやすいはずだ。

失敗しても悪く考えすぎない。

 

 

そうしていくうちにきっと

「なんだ、お化けなんていなかったのかも…」と、あっけらかんと笑う未来の自分にいつか会えるかもしれない。

 

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